創造目的学会  Let's complete this world which was created by God.

神の存在証明

神の存在証明

2005.10.12  森田義彦

 

カントの「神の存在の唯一可能な証明根拠」と「純粋理性批判」

 

神の存在証明が可能であるかどうかについては、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの「神の存在の唯一可能な証明根拠(1763年)」という論文があります。<要点>

 

カントは、4つの方法を提示しました。

 

1.根拠としての単に可能なるものの概念から帰結としての現存在を推論する方法
2.帰結としての事物の内的可能性から根拠としての神の現存在を推論する方法
3.現に存在するものについての経験概念から第一の独立的原因を因果的推論の規則に従って進み、これから概念の論理的分析で、神を指し示す諸属性へと進む方法
4.実在するものの経験概念から発して神の現存在に達し、同時にその諸属性が推論される方法

 

そして、この中で証明が可能なのは、唯一、2の、帰結としての事物の内的可能性から根拠としての神の現存在を推論する方法のみであるといいました。

 

すなわち、すべての事物にあてはまる内的可能性、事物の本性が見出されるならば、それこそが、それを廃棄するとあらゆる思考可能な事物の存在が不可能になるものであり、それゆえにそれが、すべての事物の根源者である唯一なる神の属性ということができるので、神の存在が証明できるのだと言いました。

 

しかしながら、カントは、この内的可能性がいったい何であるかを見出すことができませんでした。それで、カントは、のちに、「純粋理性批判」の中で、神の現存在の存在論的証明が不可能であるゆえんについて、記述しました。

 

その中で、カントは、最高存在たる神があろうとなかろうと物が存在することに変わりはないと言い、物の存在原因として神が存在するという命題は神も存在物のひとつに含んでしまうことになり矛盾すると論じました。そして、神を概念以上のものとして捉えることができませんでした。

 

 

内的可能性とは何であったかを明らかにし、神の存在を証明する

 

カントの見出すことの出来なかった事物の内的可能性をここで明らかにしたいと思います。その内的可能性とは、「いかなる存在物にもある、他者との相対的関係を可能とする先有条件(「先有条件」は文鮮明先生の命名)」です。

 

物が存在するためには相対的存在との間の相対的関係が必ず必要です。従って存在するものは先有条件を必ず持っているということができます。相対的関係を可能とする先有条件の廃棄は存在を不可能とします。存在が認識されるためには他との相互作用が必要であり、必ず相対的関係を結んでいる必要があるからです。また、先有条件をまったく持たず存在を認識できないものが存在するかどうかという議論は空論になります。すなわち、すべての事物の内的可能性として、他者との相対的関係を可能とする先有条件があてはまるのです。たとえ私達人間がこの存在世界を認識する仕方が人間固有の感官を通してでしかなくまた現象としてでしかないという制約にとらわれていたとしても、人間と存在世界の相対的関係を否定することは出来ませんし、いかなる存在物にも他者との相対的関係を可能とする先有条件があることを否定することは出来ません。 

 

 

なぜカントが先有条件を発見することができなかったのかといえば、カントが内的可能性を事物単体における内的可能性という範囲でしか考えていなかったからです。
「相対的関係がなければいかなるものも存在できない」という命題は、カントの考察には含まれていませんでした。
ここにおいては、相対的関係をなす2者とそれらの先有条件を与える必然的絶対的存在としての神の3者間の関係が出てきます。この関係性こそが、神の存在を証明しうる唯一の証明方法です。事物単体と神との2者間の関係だけでは神の存在を証明することは出来ないのです。

 

このようにして、事物に相対的関係を与える第一原因である神の存在が証明されました。

 

 

補足

 

補足として、いくつかの疑問を整理しておきたいと思います。

 

まず、相対的関係を考えることは、必然的存在は唯一であるというカントの命題に矛盾しないのでしょうか。必然的存在は他のすべての可能性の最終的実在根拠を含んでいるのだから、他のすべてのものは根拠としての必然的存在によって与えられる限りにおいて、はじめて可能となっている。ゆえに複数のものが絶対的に必然的であることはできないと、カントは言っています。
しかしながら、これは、この必然的存在は一切の可能なるもののなかでも最高の実在性を持つものであるからといっても、これを一切の可能な実在性がその規定として属するというように理解してはならない、というカントの命題によって解決されます。

 

すなわち、いかなる事物も単体では存在しえないとしても、そのことが神の規定とはならないということです。一切の被造物は神の実在根拠の一部分しか持たないからだとも言えます。

 

 

次に、事物と、その原因たる神の関係は、因果律の中にはないのかという問題です。因果律の中に絶対者があるとすれば矛盾を引き起こします。なぜならば、絶対者は時空を超えた存在であるはずで、時間的因果律にはとらわれないはずだからです。
しかし、内的可能性は因果律の中にはありません。それは属性であり、因果律にはとらわれていません。

 

以上で、神の存在証明を終わります。

 

トップへ戻る
inserted by FC2 system