人類と共同所有貨幣制度

ずいぶんと大きなタイトルになってしまいましたが、とりあえず、こういうタイトルで話をしてみたいと思います。

 

宗教の世界では、今は神の声を聞くときだ、と言います。ヨベルの年と言ったり、終末と言ったりします。神を無視する無神論は間違っており、人間は神の子なのだ、と説きます。ヨベルの年は解放の年です。抑圧された人々が解放される年です。宗教としての結論は、人間は神の子だ、ということです。神は万民を等しく愛していらっしゃる、ということです。そして、親なる神の声に耳を傾けなさい、と説きます。神が解放してくださるからと説きます。
宗教はここまでのように思います。ここから先が宗教には見当たらないように思います。

 

経済の世界では、資本主義は終わりに近づいている、と言う人がいます。数百年前に始まった資本主義は、外に利益を求め、外から利益を吸収しながら成長してきました。それが、今日に至ってついに、世界中を飲みつくし、これ以上利益を増やすことが出来なくなってしまいました。成長するときには資本家と労働者は協力し合っていましたが、今では、ついに、労働者の賃金がカットされ、貧富の差がどんどん広がっていってしまっています。また、仮想空間に利益を求めても、つまるところ、これはパイの奪い合いでしかありません。これでは民主主義が崩壊してしまうので、資本主義はもう終わるしかない、と言います。そして、資本主義の次の世界に移行しなければならない、と言うのですが、その次の世界がどんな世界なのか、いまだに誰もわからないように思います。

 

共産主義は、資本主義に対する恨みのようなものです。資本家に痛い目に合わされた労働者が平等な社会を理想として作ったはずでしたが、結局、共産党が資本家に代わっただけで、資本主義の次の世界にはなりませんでした。むしろ、神を否定する非人道的なものになってしまい、恨みだけが残りました。

 

 

これまでの人類歴史は、人間が人間を抑圧してきた歴史でした。宗教的に見ても、経済的に見ても、このように言えると思います。科学が進歩し世界がよりよく分かるようになり、科学技術が発達して生活はより豊かになりましたが、人間が人間を抑圧していることには変わりありませんでした。

 

このような人類が解放されることを指して、新しい世界の到来だと言えるのだろうと思います。

 

それはどのような世界でしょうか。
理想を言えば、自由と平和と幸福の世界だと言えます。すべての人がこれを享受出来る世界です。すべての人を思いやることの出来る世界です。

 

そして、このような理想世界を得るためには、社会の根本である貨幣制度を直す必要があります。
これは、社会の根本から直さなければならないとしたら、現実的には不可能なことのようにも思えます。

 

しかし、共同所有貨幣制度を導入することによって、社会の根本である貨幣制度を直したことになるのです。

 

 

共同所有貨幣制度を導入することによって、政府は、痛みの伴う改革を国民に求めるのではなく、率直に、痛みのあるところに救いの手を差し伸べられるようになります。世界が、痛みのあるところに救いの手を差し伸べられるようになります。神の愛が世界の隅々にまで届くようになります。
このような世界に、共産革命やテロが必要でしょうか。もはやこれらをする必要はなくなります。人類は、確実に、自由と平和と幸福の世界を実現することが出来るようになることでしょう。

 

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