発見の背景

あまりにも簡単な仕組みで驚かれたと思いますが、これまでこれに気づいた人は誰一人としていなかったと思います。
それは、お金を預けるところが銀行だ、という先入観があったからだと思います。

 

銀行の起源は、紀元前3000年のバビロニアで、当時は神殿で人々の財産を預かっていたそうです。
お金はあらゆるものと交換の出来る社会的なものですから、まず重要なのはその交換価値でしょう。そしてさらに、お金は保存が利くわけですから、手元にあるお金をどこか安全なところに預けておこうと考えるのは当然のことで、銀行にお金を預けることは人類にとって当然の成り行きだったと思います。

 

そして、人類にとって、お金はこれで十分な役割を果たしてきたのです。
ただ、これは、あくまでも、個人がお金を考えた場合の話です。

 

今日、人類社会は大きく発展し、国家財政や雇用関係、売買関係といった貨幣の授受を伴う関係によって成り立つ社会になりました。
しかし、それでも、お金に関する認識は変わらなかったと思います。もっぱら所有物として考え、利益を大きくするにはどうしたらよいかしか考えていなかったと思います。また、全体の利益を最大にする方法ばかりを求めてきたと思います。

 

しかし、その結果人類がたどり着いた今の社会は、貧富の差が悲しいほど大きな社会でした。人類が本来求めていたはずの理想世界は手が届きそうで届きませんでした。

 

資本主義国家の政府は赤字で悩み、資本主義を否定する共産主義国家でも貧富の差は消えませんでした。

 

なぜ、こうなるのか?

 

その原因は、人類が、先に、貨幣を所有することを考えたからです。

 

これを教えてくれたのは、文鮮明先生が提唱した統一原理・統一思想です。

 

文先生は自然界に元来備わっている循環ということを教えてくれました。
考えてみますと、社会の中を巡っている貨幣も循環をなすものです。

 

これまで人類は、お金を所有することをまず先に考えてきたのですが、お金を所有することを考える前に、お金を循環する存在として存在させてから所有を考える経済社会を考えますと、この共同所有貨幣制度という形態が思い浮かんできます。

 

そして、これまで世界は二つに分断されてきましたが、共同所有貨幣制度によって、世界は一つになることが出来るようになると思います。

 

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