創造目的学会  Let's complete this world which was created by God.

趣意書

創造目的学会 趣意書

 これまで、科学において、絶対者、すなわちこの世界を存在たらしめた根源的主体、についての議論は、枠の外に置かれてきた。これまでの科学は物質世界だけを議論の対象にしてきた。科学が絶対者の存在を否定したということではない。それでも、科学者は、絶対者の問題を担当外の形而上学的問題として捉え、言及することを避けてきたのである。そして、この問題はもっぱら宗教者や哲学者の担当分野として扱われてきた。宗教者の直観的思考方法は科学者の思考方法とは性質の違うものであり、科学者と宗教者が席を同じくすることはできなかった。
 しかしながら、この両者を分けて考える限り、人類社会がさまざまな悩みを抱え続けなければならないことに、多くの人は気づき始めている。
 このような現実の状況において、創造目的学会が発足された意義はきわめて大きく、この学会が、まったく土俵を異にするこれら2つの領域の間に橋を架ける作業を担うことを期待している。
 これは、人類が全体的調和を得るために必ず現れなければならない、時代的要請によるものだと思う。

 

 しかしながら、そもそもそのようなことが可能であると気づいた人がこれまでにいたならば、この調和はとっくの昔にもたらされていたはずである。そのようなことが不可能だと誰しも思っていたがゆえに、宗教と科学はそれぞれの領域において、互いに干渉することなく発展してきたのである。
 (神や霊界などの)目に見えない世界と、(肉眼や検出器を通して)目に見える世界。この両者は明らかに次元を異にする世界であるが、この両者の接点はいずこにあるのだろうか。

 

 つまり、我々は、絶対者が存在しなければ、人間はおろか、この世界も存在し得ないということに論及したいのである。すなわち、科学と宗教の中間に立って、どちらの方向にも向くことができる双方向の、不滅で絶対的な通路を完成させたいわけである。

 

 ここに、すべての存在しているものには、絶対者によって創造された創造目的があるというのが、本学会の基本的立場であり、創造目的とはいかなるものであるかを明らかにしようとするのが本学会の目指すところである。

 

 ここで、我々が考えているひとつの命題を提示したい。

 

 「1.存在しているものは、いかなるものであっても、相対的関係を結ぶことによって初めて、存在している。」

 

 いかなるものも他者との間に相対となる関係(相対的関係)を結んでいなければ存在すら出来ない。これは宗教においても言われていることであるが、科学の根幹に位置付けられるべき命題だと思っている。我々はこの文言を原理講論という書物(株式会社光言社発行)の中に発見した。
 例えば、眼の進化を考えてみたときに、眼は最初のきわめて単純なしくみから自然淘汰という鍛錬を受けて進化してきたというけれど、この一番最初の、まだ眼と呼ぶのもおこがましいような眼の最初の形である眼点であったとしても、眼点が発信する視覚情報が母体である細胞と関係を持っていなければ、眼点に存在の意味はまったくなく、進化のスタートラインには立てなかったのである。すなわち、眼点と母体との相対的関係は進化の大前提として進化よりも先にあったのである。この相対的関係がなかったとしたら眼点は眼点と呼ぶことができない。機能には必ず相対的関係がある。
 また、地球は太陽との間に相対的関係があるからその周りを回り続け進化の歴史を刻んできたのであり、もし、この相対的関係がなければ、地球という星もこのような姿になることは出来なかったし、生命を育むこともできなかったのである。
 また、物質の基本単位である原子は、陽子と電子の相対的関係によって原子として存在し、かつ、原子間の力を生み出して、分子を構成している。もし、この陽子と電子の相対的関係がなければ、原子なるものは存在しないし、物質も存在していない。また、この陽子の起源について、陽子を構成する素粒子について議論することができるだろう。しかしそれも、素粒子間の相対的関係と相互作用によって陽子が存在するようになると言わざるを得ないだろうし、そのような素粒子間の相対的関係があることを認めざるを得ない。このように、いかなるものの存在にも絶対不可欠な相対的関係なるものは最初からあったものとして受け入れざるを得ないであろう。
 すなわち、力が存在するためには作用が必要であり、作用するためには相対的関係の成立が不可欠であるが、このためには、相対的関係を成す相対となり得べき条件を備えた存在がまず最初になければならない。

 

 この相対的関係は、相対的関係があるからこそ物事は発展してきたのではないかというように、議論の余地のないこととして、当り前のように考えられてきたかもしれない。しかし、これはもともと当り前のことではない。鉄と磁石は引き合うがアルミニウムと磁石は引き合わない。磁気という共通のベース(相対基準)に乗っている鉄と磁石は相互作用をするが、アルミニウムはそのベースに乗らないので相互作用しないのである。もちろん、これは例えに過ぎないが、このように相対的関係があることは当たり前のことではない。今まで問題にしなかった、“なぜ相対的関係があるのか”が問題である。つまり、なぜお互いが相通じあうことのできる共通の基盤・特性・性質があるのかという問題である。
 このお互いが相通じあうことのできる特性・性質というのは、その各々の存在自体内では解決しようのない問題である。なぜなら、もし存在自体内で解決が可能だとすればそれはどんな場合かといえば、それこそ、その存在に“目的意識”があって、相手を認識してくっつこうとして、自分を後から変えるかでもしない限り、もとより縁のない相手と共通のベースに乗ることは、不可能だからである。
 すなわち、それを解決しうる存在は別に存在しなければならない。その特性を両者に与えた主体は、それら両者よりも先に別に存在しなければならず、また、両者に与えられた特性は両者が存在した当初から先に与えられていなければならない。
 この主体こそ、その両者を相対的関係をして結ばしめた“意識”の主体である。“縁結び”の主体者である。相対的関係によってこの世界を存在たらしめようと設計し創造した主体の存在である。
 すなわち、絶対者が存在し、絶対者の創造の目的があるからこそ、相対的関係も存在するのである。

 

 「2.相対的関係が存在する理由は、絶対者の創造目的にある。」

 

 相対的関係を結ばしめるための絶対者の思惟があって、そのように存在界が存在しているからこそ、その上で、相互作用があって発展も生まれてくるのである。

 

 二者間に相対的関係があるからこそ、相互作用が可能なのであり、その結果として、永遠にそこにとどまっていることも、繁殖し進化することも、より大きな構造体を構成することも出来る。

 

 相対的関係と相互作用・発展との関係は、

 

 「3.相対的関係にある二者が、相対基準を造成し相互作用すれば、生存と繁殖と作用などのためのすべての力を発生する。」

 

 科学は、この相互作用を発見し、その性質について探究してきた。が、その前提となる相対的関係については論及してこなかったかもしれない。この「相対的関係があること」こそが、この世界をデザインし創造した神の知性の表れと言える。この相対的関係がなければいかなるものも存在し得ない。
 すなわち、絶対者が存在しなければ、人間はおろか、この世界は一切存在しないのである。

 

 原理講論を出典とする、以上の3つの命題を一般的原理として、創造目的学会を設立する。
 本学会は、この命題に基づき、人文科学、社会科学、自然科学などあらゆる分野の科学と宗教に全体的調和をもたらすことを趣旨とする。

 

2005年2月14日  

 

発起人 

 

杉山勝行 福井勇夫 平井秀明 森田義彦

 

特別会員 

 

中島吉紀 西希悦 石井宏 菊池武光 杉山正樹 高木孝明

 

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